釈迦じい

岩手から戻ってきてすぐに、北海道にあるお釈迦夫の実家に挨拶に行ってきました。
別に寺でも何でもありません。ただの農家です。もっと正確に言えば「元酪農家」。
今は、牛はたたんで農作物一本でやってます。


夫は長男。
こう見えても都会育ちの悟空妻。田舎のしきたりなんてあまりよくわからないのですが、なんでも長男は家を継ぐ者として別格扱い―というか次男以下はまるで息子じゃないみたいに育てられるとか・・・。


実家には夫方の祖父母と父母が同居しています。
実家では家業を継がせようと思っていた大事な長男がフィリピンに行くと聞いて大騒ぎ―
長旅を終えて実家に辿り着くや否や、祖父(以下、釈迦じい)からの説教(説法?)が待っていました・・・



実は以前から「少しボケはじめている」という噂が流れていた釈迦じい。
「は〜、ようやく着いたぁ」と腰を落ち着けたのもつかの間、釈迦じいがおもむろに口を開きました。
「○○(夫の名)、ちょっとおまえと正直に話したいことがある」−ハイ、ナンデショウカ・・・?


「オマエ、フィリピンだかどこだか知らないけどそんな外国行ってやったって後始末をどうするんだ?」 −いや、まだ始めてもないのにもう片付けるハナシですかっ?!・・・突っ込みたいけどさすがに突っ込める雰囲気ではない・・・(__;)


「そんなとこ行ってやったってこっちに持って帰ってこれるわけじゃないんだぞ!現地人にタダでくれてやるのか?!」−いや、そんなアホな・・・(__#)


夫「でも俺はフィリピンでやりたいと思ってるんだ。後始末ってどういう意味?別に将来、俺の子供に継がせることもできるじゃない。」 ついに釈迦夫が反撃にでました!


「そんなのオマエ、ここでやれば土地もあるし(←釈迦夫に継がせるつもりで守ってきた土地がある)そんなわざわざ外国行ってやることもないだろう!」 釈迦じいの攻撃は一瞬たりともゆるむことはないっ!


夫「確かに土地はあるよ。でもまた新たに酪農するって言ったら新しく施設も作り直さなきゃならないし、そしたら借金しなきゃならないの目にみえてるじゃないか。」
 そう、[自己資金で始められる]というのも私たちがフィリピンでやろうと決めた大きな理由の一つです。今日本で新規に酪農をやろうとしたら、数千万からの借金を背負わなければなりません。


「今、牛舎を南向きに建てようか西向きに建てようか考えてるところだ。南向きに建てるなら問題はない。西向きに建てるなら△△さんと話をつけにゃいかん」−えっ?!今は借金の話をしてるんじゃ・・・? またしても突っ込めない悟空妻。ともかくこれは釈迦家の問題・・・黙って聞いているしかない。。でも正座している足が痛い・・・(泣)


夫「いや、俺はむこうで成功したら帰ってこないかもしれないよ?」


「オマエ、この土地を投げる気かっ?!!」 

重苦しい空気が流れます・・・釈迦じいがギロリと悟空妻を見ました・・・!!

怖いっ・・・!!っていうか、私がけしかけたんじゃないよっ!あんたの孫が行きたいって行ったんだよぉぉぉぉっっ(T□T)


「オマエがそんなつもりでいたなら何故そう言わなかった?もっと早くに言ってれば次男に継がせるということも考えられただろう」−そう言われてもフィリピンでやろうと思い始めたのは1年半前くらいからだし・・・


「ワシはこんなこと言いたくはなかった。でももう最後だと思うから言うんだ」−いや、そんな縁起でもない・・・っていうか、こんな説法はもう最初で最後でいいけども。。


結局この日、お互いの話は平行線のままで答は出ませんでした。

でも、釈迦じいが全然ぼけてないということだけはハッキリした一夜だったのでした・・・